定義山(西芳寺)
開祖ともいうべき、肥後守平貞能公は、平重盛公(内大臣、小松殿)の重臣でした。
貞能公は、平家が、壇ノ浦の戦いに敗れた後も、平重盛公より託された阿弥陀如来の御霊像をまもり、源氏の追討をのがれて、この地に隠れました。
ここにおいて貞能公は、なおも世をはばかり、名を「定義」と改めました。この地を「定義」、阿弥陀如来様を「定義如来」と呼ばれる由縁です
貞能公は、建久9年(1198)7月7日、御年60歳を以てお隠れになり、そこで従臣達は貞能公の遺命を奉じ、公の墓上に小堂を建て如来様の宝軸を安置し守りました。
宝永3年(1706)、従臣の後裔早坂源兵衛が、自ら出家し「観蓮社良念」と称し、「極楽山 西方寺」を開創されました。 -女義如来西芳寺HPより-
2013年10月14日
2014年10月26日


定義山入り口


大倉ダム 定義山の手前にあるダムで、ダム湖に添って山道をしばらく登ると定義山の一番手前にある駐車場に着きます 駐車場は奥にもありますよ

着いたのがお昼でしたので、定義名物の「三角揚げ」をいただきます


窓口が3つあるし、手際がいいのですぐに順番がきました
三角揚げと豆腐田楽のセット 240円
揚げたてだから旨い!

すごい行列ですが、並びます

きゅうりの漬物も1本買いました
浅漬でさっぱりして美味しい




沿道のお店




山門が見えてきました


貞能堂(旧本堂)
平貞能公御廟











戦軍地蔵
その昔村人が戦地に向かう途中、道端の石が青白く仏様の形光って見えました
不思議に思いながらも手を合わせ、無事の帰還を祈りました
その願いが叶ったことから「勝軍地蔵」と呼ばれるようになり、寺の境内に安置されたと伝えられています
← 貞能堂後ろ側


カゴを売る店が出ていました
安かったので小さいのを2個買いました
うちでは手前の駐車場に停めましたが、こちらが一番奥の駐車場になり、けっこう広いです


本堂(新)
正式名は「極楽山 西方寺」
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六 角 堂
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構 造 総青森ひば白木造
祈祷をしない人も本堂の中に入れるそうです
見てこなかったのは残念でした


「天皇塚」への階段

「長命水」
竹林からの湧き水は、年中水枯れすることがないそうです
五重塔前の茶処「やすら ぎ」ではこの長命水を使用し、お抹茶を出しています。

天皇塚
平貞能公は、この地へ逃げ着いたとき、安住の地として定め、それまで護持してきた安徳天皇の遺品を埋め、その目印に2本のケヤキを植え、その菩提を弔ったと伝えられています。
その後、家臣達は、この塚を「天皇塚」または「大臣墳」と呼び、幼き安徳天皇の冥福を祈り続けました。
五重塔エリア

五重塔が見えてきました

こちら裏参道から向かいました

五重塔エリアは広々



「やすらぎ」でお抹茶をいただきました









八百年前、肥後守貞能公は平家が壇ノ浦の戦いに敗れた後、この地に隠れ、源氏の追討を逃れるため貞能公は尚も世をはばかり名を定義(さだよし)と改め、朝夕尊像を拝し世の平和を祈りました。
五重塔は貞能公の菩提を弔うため建立されました。

