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瑞鳳殿  

史跡「経ヶ峰伊達家墓所」には藩祖伊達政宗公霊屋瑞鳳殿を始め、瑞鳳殿資料館、二代忠宗公霊屋感仙殿、三大綱宗公霊屋善応殿、妙雲界廟、御子様御廟がおかれています。

瑞鳳殿は江戸時代初期における桃山様式の廟建設として、国宝に指定されていましたが残念なことに1945年戦災により他の霊屋ニ殿と共に焼失しました。

 

瑞鳳殿などがある経ヶ峰は、伊達家の霊域として長年禁断の地であったため、藩政時代そのままの自然環境が現在まで維持され、動植物の生態にもみるべきものがある

 

 

 

 

2014年  8月  12日 雨の中の参詣

 

参道入り口へ向かう

 

無料駐車場あり

カーナビをセットするときは

仙台市青葉区霊屋下18-12

を入力することとありました

長い参道

 

写真ではわかりずらいですが、けっこう勾配がきついです

伊達家の禄高をあらわしたと言われる62段の階段

 

 

涅槃門(ねはんもん)

 

樹齢数百年の青森ヒバを用いて焼失前と同様の豪華な飾りが施されています

 

扉正面には菊紋があります

瑞鳳殿へ向かいます

 

 

 

 

 

瑞 鳳 殿

瑞鳳殿は70歳で生涯を閉じた仙台藩祖伊達政宗公の遺命により、その翌年経ヶ峰に造営された霊屋です

桃山様式の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として昭和6年国宝に指定されましたが、昭和20年の戦災で焼失しました

現在の建物は昭和54年に再建されたものです

瑞鳳殿の屋根に使われていた瓦

建て替え前のものを保存したそうです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竜頭瓦

建物は焼失しましたが竜頭瓦だけは焼けずに残ったとのこと

感仙殿・善応殿

感仙殿・善応殿へ向かう道

 

 

 

 

 

感仙殿・善応殿 入り口

 

この門をくぐった奥に左右に並んでいます

 

正面に感仙殿、左奥に善応殿

 

 

 

 

 

感仙殿

 

二代藩主 伊達忠宗公の霊屋

忠宗は正宗と正室愛姫(めごひめ)の第二子として生まれ、政宗公死去により38歳で二代藩主となりました

仙台城二の丸や東照宮の造営、新田開発、諸制度の整備改革など藩政の基盤確立に努めました

 

60歳で没し、この地に葬られました

綱宗公の命により原田甲斐らを総奉行として造営されました

昭和20年の戦災で焼失し、昭和60年に再建されました

 

 

 

 

 

善応殿

 

奥の建物が善応殿になります

三大藩主 伊達綱宗公の霊屋

忠宗公死去により19歳で三大藩主となる

しかし、わずか2年で隠居を命じられ、江戸品川の下屋敷で余生を送ることになる

71歳で没し、善応殿が5年後に完成した

瑞鳳殿や感仙殿より装飾は簡素ながら規模や形式はともに同様の図ぐれた建築であった

戦災で焼失し、昭和60年に再建されました

 

 

 

 

 

 

帰りはこちらの階段を下ります

かなり急ですね

次に向かったのは 

ここ経ヶ峯には瑞鳳殿とともに瑞宝寺という立派な寺がありますのでそちらに行ってみます

正宗山瑞宝寺

江戸時代初期、仙台藩二代藩主伊達忠宗によって、藩祖伊達忠宗廟「瑞鳳殿」が造営された際に

香華院として創建されました。

 

仙台藩から一門格の寺格を与えられ、経ヶ峯に多くの末寺を持っていましたが、明治維新期の廃仏、殷釈の風潮や廃藩置県による藩の後ろ盾の喪失により、ことごとく廃寺となりました。

 

大正15年に復興されましたが、現在は財団法人瑞鳳殿の管轄外になっているそうです。

 

※一門格について

仙台藩は家臣の間に上下の序列を付けるため、家格という序列制度を定めました。上から

一門・一家・順一家・一族・家老・着座・太刀上・召出・平士・組士

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