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たいぎさんかくしょうじ

大義山 覚照寺宝蔵宮床その他

宮城県黒川郡大和町宮床字大椚69

覚照寺は

宮床領主初代宗房(正宗の孫)の長子で、後に伊達家五代を継いだ獅山公吉村によって建立されました

廟も吉村によって造営されましたが、その後の墓は拡張整備され、二代以下は隣接して別の一郭に墓地を築き、さらに初代関係者の墓は南に拡張され、全体が3ブロックで構成されています   それぞれが枡形の囲いと屈折した道により独特の環境を造り出しています

さらに西側には孤立して宗房の墓と少し離れたところに宗房室の墓が造られています

 

とても複雑に造られた廟で、このような墓は初めて見ました

 

2013年11月2日

ここが本堂かな  ちょっとわかりません

御廟は小高い山の上、登っていきますか

宗房公の墓

宗房室法林院の墓

後から造られた墓です

宮床伊達氏累代の墓

高い土が盛られ、木で覆われた墓は、まるで外界から隠れるように造られていました

 

伊達宗房公について

宮床館主初代宗房は、仙台藩二代忠宗の八男で正宗の孫に当たります

母は側室小笹で、青葉城に生まれました

14才のときに伊達姓を許され、一門に列せられました

築城、屋敷割、社殿の建立などに力を尽くし、夫人とともに厚く神仏を崇め宮床の礎を築きました

< 宮床宝蔵 >

宮床地区は伊達政宗公の孫にあたる宗房(むねふさ)が治めていました
のちに宗房公の子である仙台藩主吉村(よしむら)は仙台藩五代藩主となり、仙台藩の財政再建に力を尽くし、「中興の名君」と謳われています。
宮床には、伊達家縁の伝世品が数多く残り、伊達文化が息づいています。

宝蔵にはこれらの伝世品や農家で使われた品が展示されています。

宝蔵の入り口を入るとこの藁葺き屋根の家が目につきます

明治維新後、宮床伊達家十代宗廣公が当屋敷に移り住み、以後伊達家の住居として使用されてきました。(大和町指定文化財)

地元の人の協力により、こちらで度々催し物があるようです

手作りの味噌や漬物などの販売もあります

囲炉裏を囲んで、訪れた人をお茶と漬物でもてなしてくれました

訪れた日は、この屋敷の中で釣り飾りを見ることができました

沢山の素敵な飾りがあったのですが、ピンぼけでした

 

宝蔵 (展示室の建物)

開館時間 : 9:00~16:00

休館日 : 月曜日(祝日・振替休日の場合は閉館)・12月28日~1月4日

入館料 : 大人  210円 ・ 大学生 160円            中学生・高校生 110円

庭には梅・モミジなどが植えられ綺麗に手入れがされています

宮床ダム

国道457号線沿いにあります

ダム湖はあさひな湖と命名されています

吉田川の治水と仙台市泉区への上水道供給を目的とした多目的ダムです

南川ダム

南川ダムは七ツ森湖と呼ばれ、ダム湖周辺には公園が整備され、観光スポットとして憩いの場になっています

七ツ森は標高300mから500mの七つの山の総称で、大和町民のシンボルになっています

真ん中あたりに微かに見えている白いのは白鳥です^^;

原阿佐緒記念館

原阿佐緒は、宮城県黒川郡宮床村に生まれました

日本女子美術大学で日本画を学ぶも短歌の道に入り、与謝野晶子らに師事し、短歌を発表

女流新鋭とみなされるようになります

その美しさゆえ様々な恋愛問題を起こし、波乱に満ちた人生を送った女性です

歌人との悲恋、自殺未遂、結婚、離婚を経験し、時には非難の対象になりました

年月が経ち、彼女の純粋さの真実が知られるにつれ、遺した作品が多くの人々に評価されるようになりました

記念館は 阿佐緒の生家を修復、一部を改築し、保存されたものです

 

漆喰仕上げの壁に畳敷きという和洋折衷の造りになっています

 

部屋の中にははがきや書簡などが展示されています

撮影は禁止でした

七ツ森を背景に自然豊かな山里の風景が広がる宮床は、仙台市内から近いこともあり、ここが好きで年に数回は訪れています

 

 

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